離島留学が家族で踏み出す新たな一歩に。 徳之島・西阿木名小学校三京分校「廃校の危機を救った離島留学生」【離島留学レポート|島の未来づくりPJ】

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奄美群島に属する徳之島は、徳之島町、天城町、伊仙町の3町に約2万3,000人が暮らす。島の中心部に人口が集中し山間部の過疎化が深刻になる中、小規模化が著しい徳之島町の1校区と天城町の3校区では離島留学を受け入れ、学校と地域コミュニティの活性化に期待を寄せる。一方、留学生たちは地域の人々に温かく見守られ、友達と手を取り合い、大自然の中でたくましく成長する。小規模校ならではの離島留学を追った。

西阿木名小学校三京分校に通う子どもたちとその家族みんなで海へ

廃校の危機を救った離島留学生

徳之島・天城町では、人口減少で小規模化が著しい西阿木名(にしあぎな)小中学校、西阿木名小学校三京(みきょう)分校、岡前(おかぜん)小学校与名間(よなま)分校の3校区で、「山海留学」の留学生を募集している。

筆者が取材に出掛けた日、3校の中でも最も生徒数の少ない西阿木名小学校三京分校に通う留学生とその家族が、休日の校舎に集まってくれた。

2年生の兄と未就学の妹がいる成田さん家族は、4月に石川県から引っ越してきた。愛知県から来た太田さん家族は、5年生の兄と2年生の妹が2学期から三京分校に編入。2組とも、家族も一緒に移住する「家族型」の山海留学生だ。

徳之島に「家族留学」を決めた成田さんと太田さん

「成田さんご家族がいらっしゃらなかったら、この学校は廃校になっていた可能性が98%くらいあったと思います。まさに救世主です」と山海留学の担当者は話す。

というのも、三京分校には去年まで2人の生徒が在籍していたが、そのうち1人はこの春中学に進学。いよいよ在校生徒が1人という状況になっていたのだ。

2学期の始業式。生徒一人一人が登壇して挨拶し、目標などを発表した

“救世主”となった成田さんは、離島留学先として種子島や屋久島なども調べていたが、小規模校の中でも“極小規模校”である三京分校がかえって気になったという。

2年生の宝君もここを選んだ理由について、「人数が少ないのが良かった。今は学校が楽しい!」と話してくれた。真っ黒に日焼けし、スルスルと校庭の木に登って遊ぶ姿は、もうすっかり島の子だ。

木登りが得意な成田宝君。体育館にあるトランポリンも大好きだそう

離島留学という選択肢が親子の希望に

母の成田すなほさんは、徳之島に来る前の宝君のことをこう振り返る。「学校や友達との関係に楽しみや希望が何も持てなくなって、ずっと家に籠っていました。だから転校しても学校に行けるかどうか、正直分からなかったです。それでも島に行って、ただ彼と流れる雲を見て一日を過ごしてもいいのかなと思っていました」

ところが嬉しいことに、環境の変化は子どもの心に確実な変化をもたらした。徳之島に来て3カ月が経った頃、会いに来てくれた祖母が宝君を見て「随分たくましくなって顔つきも変わった」と驚いたという。「本当に、こんな日が来るなんて想像もできなかった」とすなほさんは喜びを噛みしめる。

三京集落の山の中を歩く自然観察会。大きな岩に寝転んでひと休み

他方、太田さんもまた、長男の悠君が前の学校で不登校になったことがきっかけで離島留学を決めた。全校生徒800人というマンモス校に通っていた悠君は、4年生の中頃からクラスに馴染めなくなり、5年生になると学校を休むようになってしまった。

「一日中誰もいない家に一人で引き籠って、だんだん顔が青白くなって痩せてしまって、一日も早く何とかしてあげなきゃと焦っていました」と、その当時のことを語る母のはるかさん。「海が近くて小さい学校なら行けるかもしれない」という本人の希望を聞き、子どもだけで送り出すには不安があったので家族留学できる場所を探した。

昭和19年に建てられた小さな校舎。元々は1年生から3年生までが通う分校だった

「彼が0歳から育ってきた環境を全部置いて来て、そこまでして選んだ選択で本当に息子が良くなるのかとても不安でした。仕事や生活のことは何とかなると思っていましたが、息子が元気になる保証はどこにもなかった。でも今は、きっといい方向に行くだろうと希望が見えています」(母・はるかさん)

離島留学は、頼れる先生や拠りどころもなく、出口がどちらにあるのかさえ分からずにいた太田さん家族が見つけた、唯一の光だった。

希少な自然に囲まれた小さな集落での暮らし

三京集落は徳之島のちょうどおへその位置にあり、さまざまな希少生物が生息する森や川に囲まれた山間部。三京分校のすぐ裏手には、世界自然遺産の推薦候補地でもある三京林道がのびる。学校では自然観察会や水生生物観察会を実施し、生徒たちに自然の大切さや面白さを伝えている。

三京林道での自然観察会。世界自然遺産推薦区域内での贅沢な観察会だ

人口80人ほどの小さな集落では、当然人付き合いも密接になる。「引っ越して来た当日、近所の方が手伝いに来てくれたのは非常にありがたかったです。時々、捕まえたイノシシやハトを見せてくれたりもします」と父の太田照久さん。

「慣れるまでは衝撃的なことも多い」と笑うが、近所の人も「あまり頑張りすぎると疲れるから、集会は出られるときに出てくれればいいよ」と声をかけくれるため、適度な距離感を大切にできているという。皆、都会から越してきた若い家族を気にかけてくれているのだ。

今年の運動会は西阿木名小学校(本校)と合同で行われた

「役場に転入届を出しにいったら、『ありがとうございます』と感謝されたんです」と驚く母・太田はるかさん。こんなことも都会では味わえない体験だろう。

「学校に行けなくなった子どもには逃げ場がありません。だからここに来て、こんなに歓迎してもらって、自分を喜んで受け入れてくれるところがあるんだ!って子どもも嬉しかったと思います」と母・成田すなほさん。ここでは地域も学校も、両手を広げて迎え入れてくれる。

運動会ではつらつとした笑顔を見せる三京分校の生徒たち

「子どものことがきっかけにはなりましたが、いつかは移住したいな…とぼんやり考えてはいました」と父・太田照久さん。「近くに商店などがほとんどなくて不便なこともあるんですが、せっかく徳之島に移住して来たのに町中に住んでも以前とあまり変わらないし、今は自然の中での暮らしを満喫したいです」

離島留学が、家族みんなで踏み出す新たな一歩となった。

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